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科学で読み解く「虚空」の謎

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「金胎不二」の説明では飛ばしてしまいましたが、もう少し空海の思想に近づくために、中観派と唯識派の論争のもとになった「空(くう)」について考えてみます。 「空」とは、大乗仏教ではとても大切な概念で、大乗仏教は「空の哲学」とも言われています。

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空海の原点「虚空」とは

空海は、「虚空」という言葉をとても大切にしていました。これは「こくう」または「きょくう」と読む言葉で、現在ではなにもない空間、という意味や、空(そら)と同じような意味で使われることが多いですが、空海はそれとは違う意味で使っていたようです。おそらく空海の読み方は「こくう」の方です。 若い頃の空海が宗教家の道を選んだのも、「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」を信仰する(つまり虚空についてひたすら考える)修行僧との出会いがきっかけだったと伝わっています。つまり空海の思想は「虚空」は原点になっていたのです。 仏教にも「虚空」を「からっぽで何も存在しない空間」と定義し、「虚無」という意味で使っている経典もあるのですが、それだと空海の思想は虚無主義ということになってしまいます。 それでは空海の「虚空の思想」とは、いったいどのようなものだったのでしょうか? 空海が大切にしていた「大日経」という経典は、「空は虚空に等しい」と主張しているので、とりあえず、「虚空 = 空」という前提で考えてみましょう。

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「般若心経」の方程式

「空」の解説書として最も親しまれているのが「般若心経」です。般若心経は中観派の教理を支えた「般若経」のひとつ。空海も非常に重視し、積極的に唱えるように呼びかけました。四国のお遍路さんが、お寺を巡る度に般若心経を唱えるのはそのためです。 般若心経を代表するフレーズが「色即是空 空即是色」です。「色」とは物質のような概念。「色即是空 空即是色」は、「物質は空であり、空は物質である」つまり「色=空」ということ。 般若心経を世俗の言葉に置き換えると、 「"色=空"の方程式さえ解ければ、あらゆる悩みや苦しみがなくなって、穏やかに生きることができる」 という一文になります。とてもシンプルですね。 「色」のほうは「物質」や「現象」という言葉に置き換えれば何となく分かる気がしますが、それでも「空」が分からなければ、この方程式は決して解けません。 「空」は「無」と同じようなものなのでしょうか?しかし「一切が無である」だと、般若心経は虚無主義を説いていることになります。四国のお遍路さんが毎日唱えているのは、虚無主義の礼賛だったのでしょうか? ・・・たぶん、違いますよね。あんなに苦労して歩きまわって、行き着くところが虚無主義だったら悲しいです。

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魔法の数字「ゼロ」

この「空」の謎について考える上で、科学に親しんだ現代人にとって身近な概念があります。仏教と同じように、インドで生み出された「ゼロ」です。この「ゼロ」のおかげで、数学や物理学が発展し、現代の科学技術が生み出されたのですよね。 まずは数学の観点から「ゼロ」について考えてみましょう。 しかし「ゼロ」のほうも、実はとても不思議な数字です。正でもなければ負でもない。無限に限りなく近いけれど、無限とイコールではない。他と関係させると、何も影響を与えないか、自分自身に同化させてしまうかのどっちか。そして、決して割り算に使ってはいけないという、「禁忌の数字」としての顔も持っている(多くの数学者が「ゼロ除算」にチャレンジしましたが、いまだ成功していないようです)。 「ゼロ」も「無」とよく混同されますが、実際には違います。「無」であれば世の中になんの影響ももたらさないはずですが、「ゼロ」は他の数字にとてつもない影響をもたらしますし、現代のわたしたちの生活の支えにもなっているのですから。 「ゼロ」の影響力は、「あらゆる数字はゼロに収斂される」といえるほど強いものです。

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物理学における「ゼロの原則」

次は物理学の観点から、物質や物理現象と「ゼロ」との関係を見てみましょう。 物理学によると、あらゆる物質は原子の集合体です。その原子は、プラスの電気量(電荷)を持った陽子と、電気を持たない中性子(この2つを合わせて原子核といいます)、さらにマイナスの電気量を持った電子で構成されています。 原子の原則として、「陽子の持つプラスの電気の量と、電子の持つマイナスの電気の量は等しい」というものがあります。つまり原子全体の電気量は、原則としてプラスマイナスゼロになります。 この場合のゼロも、決して「無」ではありません。膨大な数のプラスと、同じ量のマイナスが一体化した結果、全体として「ゼロ」という状態を保っているのです。 つまり、無限とまでは言えないけれど、無限に限りなく近い量がある、真逆の性質を持つもの同士が一体化した結果、「ゼロ」という姿で実在しているのです。 なお、この「ゼロの原則」は、しばしば破られます。中には「ゼロじゃない状態のほうが心地いい」とまで言い出す「安定なイオン」と呼ばれるへそ曲がりの原子もいます。その結果、原子を飛び出して旅に出て、次の住処を見つけるまでさすらいの旅を続ける「自由電子」という子どもたちもいます。しかし全体としてはゼロに戻そうという動きが働き、その結果電気現象などが発生します。 ほかの物理現象も、「ゼロへの回帰」が原動力になっています。たとえば潮の満ち引きは、月の引力と、地球が回転することで生まれる遠心力のバランスをとるために(「引力 - 遠心力」をゼロにするために)起きる現象です。 ともあれ、世の中の物質は原則として「ゼロ」という性質を持ち、その原則を外れた状態から、再び「ゼロ」に戻ろうとしてさまざまな現象が現れるのです。 「色」を「物質」や「現象」に、「空」を「ゼロ」に置き換えれば、般若心経の「色即是空 空即是色」は科学と同じことを言っていると考えることもできますね。 「空」と「ゼロ」の概念を生み出し、世界に広めた古代インド人は、そんな物理のメカニズムまで知っていたのでしょうか。まさかそんなはずはないと思いますが、何となく感づいていたのかもしれません。

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さらに深まる「空」の謎

しかし、「空」という概念は、感覚としては何となく分かったとしても、論理でつきつめて考えようとすると、色々と矛盾が出てきて、また分からなくなってしまいます。 「一切は空」と言い切った中観派と、「いや、人の意識というものだけは、そのメカニズムでは説明できない」と主張した唯識派の論争は、彼らが「空」についてとことん考えたところから始まっていたのです。 中観派でも、「空には二種類ある。本当に何もない空と、全てを包容している空だ」みたいなこと主張が出てきます。じゃあ「虚空」は前者の何もない方の「空」なのかなと思うと、ますます混乱するのですが・・・ 理解が難しく、色んな見方ができるからこそ、多くの人が考え続けてきた概念だともいえます。