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哲学的な男女合体「金胎不二」

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宗教都市・高野山で生み出された真言密教には、どのような哲学があるのでしょうか。 このページでは、密教のシンボル「曼荼羅」の意味と、そこに描かれた哲学的な男女合体「金胎不二」について考えます。

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曼荼羅と真言密教

密教といえば「曼荼羅(まんだら)」。あの仏像がたくさん描かれた、カラフルな絵です。仏と縁を結ぶ「灌頂」という儀式で使われますが、どんな意味があるのでしょうか。 空海は、「密教は神秘的すぎて言葉で伝えるのが難しい。より多くの人に理解してもらうためには図説したほうがいい(「請来目録」からの意訳)」と言っています。 しかしいったい、曼荼羅はどんな思想を図説しているのでしょうか。美術として鑑賞するのもいいですが、そこにこめられた思いを少しは知りたくなってきますよね。 ここからは曼荼羅の意味を含め、空海の思想そのものについて、現代人の認識におきかえながら解読を試みてみます。その鍵となるのは仏教の歴史、そして科学や他の宗教・哲学との対比です。 真言密教でよく使われているのは、「両界曼荼羅」というもの。「両界」というのは、大日如来が持つ、「金剛界」と「胎蔵界」という2つの側面です。 一言でいうと「ハードで鋭い側面」と「ソフトで優しい側面」。大日如来は2つの対照的な性格を持つ二重人格なのですね。いろいろ矛盾を抱えて大変そうです。 しかし真言密教では、こうした対照的な側面が一体となっていることが、とても大切なことだといいます。これが真言密教の根本思想、「金胎不二(両部不二)」です。

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「金胎不二」とは

「金胎不二」の四文字は、「"金"と"胎"は二つではなく一体のものだ」という意味。"金"は金剛界、"胎"は胎蔵界のことです。 金剛は決して壊れない金属。ちなみにダイヤモンドは、金剛のような石という意味で金剛石と呼ばれます。大日如来は、その鋭い智慧により、どんな煩悩でも打ち破れる強固な力を持っているとされます。 後期密教の秘密灌頂で、「金剛杵」という法具の象徴として男性器が使われることから、「金剛」はその他の密教でも、性秘儀的な意味ではなくても「男性」または「父」を象徴する意味が含まれていると思われます。 一方で胎蔵とは、子宮のこと。大日如来は、母親の胎内のような場所に何もかも受け入れて、人々を悩みから解き放ってくれるのだそうです。 その二つが一体であるとは、どういうことでしょうか? 「大日如来は強さと優しさを併せ持つ有り難い存在だ」ということ? 思想としての仏教の歩みをたどってみると、もっと興味深い話が浮かび上がってきます。

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「慈悲派」と「正義派」の大論争

4世紀から9世紀にかけて、インド及び中国で繰り広げられた壮大な論争がありました。大乗仏教の主流だった2大学派、「中観派」と「唯識派」の論争です。 論争の核心は「空」とは何か、ということ。「空」または「虚空」は大乗仏教を読み解く上で最も重要な概念の一つですが、複雑な話になってしまうので、後述します。 とりあえず、一般的な表現におきかえて、それぞれの主張を見てみましょう。 中観派の考え方は、 「対立しているように見えるあらゆる概念は、実は相互依存関係にある。それなのに、どちらか一方に執着するから、人は悩み苦しむのだ。対立など幻影にすぎないことが分かれば、悩みから解放されるよ」 というものです。政治の世界におきかえれば、左翼でもなければ右翼でもなく、バランスを重んじる「中道派」という感じでしょうか。 あらゆる対立を否定するので、「慈悲」や「受容」を特に大切にしています。これが、大日如来のソフトな側面「胎蔵界」につながっていきます。 一方の唯識派は、 「中観派は受け身すぎる。それでは何も決められないし、間違いを正すこともできない。わたしたちは智慧を研ぎ澄まし、真理を追求すべきだ」 と主張しました。中観派に比べると絶対的な真理を求める傾向があり、強い意志と向上心を持ち、間違ったことに対しては妥協しないという積極的な姿勢です。これは大日如来のハードな側面「金剛界」につながります。 唯識派は、自らの認識を高めるための実践として瞑想を重視しました。あの三蔵法師玄奘がインドで学び、中国に持ち帰ったのはこの唯識派の思想です(これが日本にも伝わり、現存する日本最古の宗派、法相宗になりました)。 すべてをありのままに受け入れ、あらゆる対立や分断をなくすべきか。それとも真理を実現するために、強い意志を貫くべきか。インドや中国では、5世紀以上にわたってそんな論争が繰り返されました(実際にはこれよりもはるかに複雑な論争ですが、一言で言えばこんな感じかと)。

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男女の矛盾を一体化させる「金胎不二」

しかし空海は、この二つの考え方を一つにすべきだと唱えました。 これが「金=金剛界=唯識派=男性的な思想」と「胎=胎蔵界=中観派=女性的な思想」は一体だという「金胎不二」です。 一般的な表現で言えば、 「誰にだって、心の中には男性的な側面と女性的な側面がある。それを二重人格と言って否定すべきではなく、それらの衝突に悩む必要はない。むしろそれを同時に活かす方法を考えよ」 という感じでしょうか。 人が生きていく上で(または社会をつくっていく上で)、「意志と寛容」「理性と情緒」「厳しさと優しさ」「ハードとソフト」「男性と女性」のどちらかに偏るべきではないということです。 あるとき寛容だった人が、別のときに厳格だったとしても、一貫性がないと言われる筋合いはありません。ある面では男性的な人が、別な面では女性的でも構わないのです。 LGBTQ、特にその中の「Q(クエスチョニング、クィア」の人たちにとっても、参考になる考え方かもしれません。

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弁証法とは違う手法による「矛盾の克服」

空海は、中観派が主張する対立克服の手法を使って、唯識派の考え方を取り込んだとも言えます。思想のベースとしては中観派のような考え方をしている一方で、実際に使う経典や曼荼羅、修行の内容は唯識派のものが多くなっているのです。 これは矛盾を克服する「アウフヘーベン」によって高みを目指す、西洋哲学の弁証法にも似ています。しかし金胎不二には、弁証法のような順序はありません。「一体化を目指す」というよりも、「一体であることを、疑問を持たずに受け入れる」という感じです。 この金胎不二を可視化させたのが真言密教の曼荼羅であり、高野山の壇上伽藍では、寺院群そのものが金胎不二の思想を具現化するために設計されています。