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空海の大戦略と即身成仏

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宗教都市・高野山で生み出された真言密教には、どのような哲学があるのでしょうか。 このページでは、晩年の空海が高野山を開創した頃の大戦略と、即身成仏の最終段階に託した願いについて考えます。

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宗教戦争を防いだ大戦略

さらに空海は、兄弟対立の背景の一つだった奈良仏教(南都)と平安京との摩擦もおさめました。 堕落した旧宗教、奈良仏教は、新宗教の密教にとっては朝廷と一緒になって打倒する対象になってもおかしくありませんでした。実際、桓武天皇に重用された最澄は奈良仏教を厳しく批判し、権力から遠ざけて、その資金源を断とうとしました。 しかし空海は、奈良仏教を擁護する側にまわりました。奈良仏教は確かに堕落していましたが、それまで積み上げてきた知識や文化、そして利他(福祉活動など)を実施する能力は、まだまだ無視できないものがありました。空海は、奈良仏教を破滅させたら、多くの人から救済のチャンスを奪うことになると考えたのです。 平安京の朝廷が奈良を敵視し続けたら、いつまでも対立が終わらないという問題もありました。 そこで空海は、嵯峨天皇の任命により東大寺の別当に就任します。なんと、新宗教のリーダーを託されていた人が、自ら旧宗教のリーダーになってしまったのです。奈良仏教の側でも、最澄と違って融和的な空海であれば、朝廷とのパイプを維持するために担ぐことは悪いことではありません。 こうして空海は、南北の宗教対立も未然におさめてしまいました。もちろんその結果、天台宗の矛先は真言宗にも向かい、密教系同士の対立が発展してしまいます。しかし、同じ新宗教で組んで、朝廷の力をバックにして旧宗教を倒そうとしていたら、宗教戦争が勃発してもおかしくありませんでした。 南都を救うと同時に空海は、真言密教の勢力も拡大させていきます。朝廷とのパイプを生かして集めた資本と、唐で学んだ土木技術により、最先端の灌漑用水などを開発していきました。 空海は、現世で多くの利他を実現するためであれば、「煩悩」の究極の姿ともいえる権力闘争の渦中に飛び込むことも、堕落した宗教組織を再生させることも、そして自らの組織を太らせることも厭わなかったのです。

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バランス戦略としての「即身成仏」

しかし空海は同時に、権力に接近しすぎることの危うさも意識していました。権力者に対して自在に影響を及ぼせている間はいいですが、その権力者が代わったり、そうでなくても、何らかの原因で意識が変わった場合はその反動がくる可能性もあります。 かつての奈良仏教のように堕落してしまったら、権力からの制裁に加えて人心までが離れてしまい、利他どころではなくなるかも知れません。 さらに、いかに「利他」のためとはいえ、福祉国家のような役割を果たすのは、釈迦の生き方からあまりにもかけ離れています。王族だった釈迦は、世俗のドロドロした事柄から離れるために出家したのですから。 空海は、「利他」を実現するために権力との関係を維持することと、釈迦のような本来の出家の生き方との間で、どうバランスをとるかを模索していたようです。権力を操ることも可能だったかも知れませんが、その道を選ぶことはありませんでした。 嵯峨天皇に最も寵愛されていた時期、空海は紀伊山地の高野山に道場を開創し、自ら山に登って伽藍の建立をすすめました。そして、「即身成仏」を唱えて隠棲することになったのです。 「即身成仏」の「即身」とは現世との関わりを意味し、「成仏」は釈迦のようなあり方を意味します。空海はこの矛盾する二つの言葉をどちらも肯定して、一つの言葉にしてしまいました。「即身」と「成仏」を同時に実現することこそが、自らが最終的に目指す「縁起」だと唱えたのです。 そして、生物としての死を予感した時、即身成仏の最終段階に向けて準備を始めたのだと思われます。

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「持続可能な縁起」に託した願い

仏教の考えでは、生物としての死は、存在がなくなることを意味しません。そもそも生物としての形は実在しないので、なくなることもありません。実在する「虚空」または「縁起」についていえば、どのような物質の再構成が行われようが、新たな「縁起」が生まれた、ということにすぎないといいます。 しかし縁起とは、常に移り変わるもの。永遠に同じ縁起が続くということは考えられません。第二段階の即身成仏も、刹那的な縁起にすぎないといえます。 しかし人間には、受け継いでくれる人たちがいる限り、長期間にわたって似た状態に留めておくことができる縁起があります。その代表的なものが、生物としての死を前にした願いであり、メッセージです。 永遠ではないとしても、永遠に限りなく近い長期間、自らの「縁起」を現世に留めておきたい。そして引き続き、多くの人を救済していきたい。空海が「即身成仏」の最終段階に込めた思いは、そんなものではなかったでしょうか。 空海にとって現世とは、それほど強く肯定すべきものだったのでしょう。これまで現世に多くの利他をもたらしてきた、という自負もあったはずです。