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後期密教、真言密教と天台密教

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高野山の中心的な信仰である真言密教とは、どのような宗教・哲学なのでしょうか。 このページでは、密教の起源や後期密教、真言密教と天台密教の違いなどについて考えます。

密教とは

仏教を一言で言うと、「自分自身を束縛している欲望や妄念から解き放たれましょう。そうすれば、生きる苦しみや悩みはなくなります」という思想です。 戒律を何よりも重んじる宗派、経典を重視する宗派、ワンフレーズでOKな宗派など、いろいろな宗派がありますが、その中で密教は、閉ざされた師弟関係によって口伝される秘密の教えとされています。 しかし彼らは、象牙の塔に籠もっているわけではありません。むしろ難しい教義をこねくり回すよりも、直感や行動を重んじることで、現実社会と積極的に関わろうとしてきました。 教義について言うと、神秘的であるが故にカルト的な印象を与える言葉が多く使われ、実際に様々なカルト宗教に利用されてきました。あるカルト宗教に関わる報道で有名になった言葉も、たくさん使われています。 しかしそれらの言葉がどのように生まれ、どんな歴史をたどってきたのか見てみると、密教の神秘的な魅力は減ってしまうものの、人の生き方に示唆を与えてくれる哲学としての姿が見えてきます。

密教の起源

密教は、6世紀から7世紀にかけてのインドで成立しました。その頃のインドではヒンドゥー教が再び勢力を拡大していました。仏教はヒンドゥー教に対抗して信者を獲得するため、土着の信仰を取り入れ、特に呪術や儀礼を強調するようになりました。 初期の密教が取り入れた雑多な呪術はやがて整理され、「大日経」や「金剛頂経」として体系化されます。空海が唐で学び、日本に伝えたのはこのインド中期密教でした。 一般の人々は、顕教とは違って密教の教義はよく理解できなかったものの、その神秘的な儀礼や恐ろしげな言葉に呪術的な魅力を感じていました。日本で密教が発展したのも、怨霊を恐れる平安朝の貴族たちが、加持祈祷の効果を期待したためです。 日本の密教は古くからの山岳信仰とも融合し、やがて神仏習合の修験道となって民衆にも広がりました。そういう意味では、キリスト教がアフリカの土着信仰と融合したブードゥー教とも通じるところがあります。

後期密教と性秘儀(ヨーガ)

中期密教の後、インドで発展した後期密教は、ヒンドゥー教シャークタ派のタントラなど、シャクティ(女性的なエネルギー、性力、女性器)信仰の影響を強く受けました。 その結果、後期密教では性交によって仏と一体化し、呪術的な能力を発揮することができると考えられるようになりました。それまでの仏教と違い、性行為はタブーではなくなり、解脱を目指す性的な修行(性秘儀、ヨーガ)も行われました。 こうしてヒンドゥー教や様々な土着信仰を取り入れた結果、インド仏教は釈迦の教えからかけ離れてしまい、ヒンドゥー教との違いが曖昧になって衰退していきます。 その後、後期密教はチベット仏教に受け継がれました。15世紀にチベット仏教・ゲルク派を開いたツォンカパは、釈迦の教え(顕教)を再評価し、密教教義の捉え直しを行います。そして修行者には戒律を守るように求め、僧侶が異性と交わることは釈迦の教えに反するとして、性的な修行は観想上に留めるよう定めました。 日本の密教でも性交を菩薩の境地としているものの、一部の宗派を除いて性秘儀は取り入れられていません。これは、空海たちが密教を学んだ唐では儒教の影響が強く、性道徳に反する後期密教が受け入れられなかったためだと考えられています。

真言宗とは

真言宗は、空海が唐で恵果から受け継いだ密教を発展させ、開祖した宗派です。 「真言」とは、仏陀の言葉を翻訳せず、サンスクリット語のまま音写した呪文のようなもの。「奥深い仏の教えはそう簡単に理解できるものではない」という考えから、安易に翻訳して論理的に考えるよりも、原語のまま唱え続けることで、直感的に「仏」を感じることを求めています。 真言宗の本尊は、仏教の太陽神とも言うべき「大日如来」です。大日如来は「永遠不滅の真理そのもの」であり、全てのものを作り出す存在です。そういう意味で、キリスト教などの「神」や汎神論(全ての物体が神そのものであるという哲学)とも共通するところがあります。一方で神仏習合の立場からは、神道の太陽神である天照大神と同一視されることもあります。 教典は、密教の理論を説く「金剛頂経」と修行の実践法を説く「大日経」が中心です。修行には、理論と実践の両方が必要だとされます。

真言密教と天台密教

空海の真言密教とは別に、最澄の天台宗も密教を取り入れました。 もっとも最澄自身は法華経を中心とする総合仏教の確立を目指しており、密教はあくまでその一部に過ぎませんでした。そのため、空海と最澄の時代は、真言密教が天台宗の密教を圧倒していました。 しかしその後、最澄の弟子の円仁(慈覚大師・794年~864年)、円珍(智証大師・814年~891年)が唐で最新の密教を学び、日本に持ち帰ったことで、天台宗でも密教が重視されるようになります。そして円仁の弟子、安然(841年?~915年?)が「大日経」を中心とする密教教学の研究を進め、天台宗独自の密教を完成させました。 これ以降、真言密教は「東密」、天台宗の密教は「台密」と呼ばれ、日本における二大密教として発展していきます。 東密では、釈迦如来の「華厳経」「法華経」よりも「大日経」「金剛頂経」など密教経典の方が優れているとしています。 一方で台密では、「華厳経」「法華経」は、実践面では密教経典に劣るものの、理論面では同様に優れていると説きます。これは、そもそも中国の天台宗が法華経を根本経典としていて、密教を導入していなかったことに由来します。 また、東密では大日如来を最高仏とし、釈迦如来はその化身の一つに過ぎないと説きますが、台密では大日如来と釈迦如来を同一の仏としています。 つまり、天台宗が釈迦の教えを密教と同様に尊ぶのに対し、真言宗は密教に特化しており、密教至上主義ともいえるでしょう。

空海の思想についての多角的な考察

以下のページでは、空海が「即身成仏」という言葉にこめた「虚空の哲学」について、科学・西洋哲学・歴史学など多面的な角度から考えていきます。 曼荼羅と金胎不二 科学で読み解く「虚空」の謎 「虚空の思想」と即身成仏 西洋哲学で考える「即身成仏」 三密の修行とパスカル哲学 「即身成仏」と「利他」 「縁起至上主義」への転換 血みどろの権力闘争と密教 「即身成仏」の伝説化と後継者・反抗者たち