勧学院(高野山・壇上伽藍)-密教修行の道場に秘められた歴史-
勧学院(かんがくいん)は、鎌倉幕府が高野山に作った密教修行の道場です。 当初は金剛三昧院にありましたが、鎌倉時代後期、法皇の意向により壇上伽藍に移転されました。それは、後の後醍醐天皇による倒幕のさきがけとも見られる出来事でした。 この勧学院について、観光のポイント、詳細な歴史背景をご案内します。
勧学院への行き方
勧学院は、高野山の西部エリアにあります。壇上伽藍の南東端です。 最寄りのバス停は、「南海りんかんバス(千手大門線/高野山内線)」の「霊宝館前」停留所。駐車場は「霊宝館駐車場」や「中門前駐車場」が近いです。
勧学院観光のポイント
勧学院は、高野山真言宗の僧侶たちの修業の場なので、内部の拝観・観光は通常はできません。 外からでも見られるポイントとしては、南側にある正門があります。「四脚門(しきゃくもん)」という形式で、獅子の彫刻があります。この門が開けられるのは、一年に一回の「勧学会(かんがくえ)」の時だけです。 正門の両脇からは築地塀(ついじべい)が伸びていて、勧学院の敷地を取り囲んでいます。
勧学院の歴史探索
以下は勧学院の歴史背景の解説ページへのリンクです。 勧学院の略史勧学院は中世最高峰の「密教大学」だった?鎌倉中期の最重要人物「安達泰盛」と高野山安達泰盛の天下統一事業「弘安徳政」とは安達泰盛の理想を打ち砕いた「霜月騒動」北条貞時と「永仁の徳政令」鎌倉幕府が破綻した主因とは?「霜月騒動」がもたらした朝廷の波乱「密教に傾倒した英主」後宇多法皇勧学院の移転は倒幕の準備だったのか?源実朝以来の悲願を一気に実現しようとした「建武の新政」後醍醐天皇と真言密教