高野山・奥の院の地蔵めぐり-空海の超人伝説の思想を体感!?-
高野山・奥の院の見どころは世界遺産の建物や武将たちの供養塔だけではありません。実は高野山にはユニークなお地蔵様がたくさんいるのですが、その多くがこの奥の院に集まっているのです。 しかも、そのユニークな地蔵菩薩たちは、弘法大師・空海の超人伝説を伝えていたり、空海の思想を体現していたりします。ぜひ、地蔵めぐりで空海ワールドを感じてみましょう。
地蔵信仰と空海
地蔵菩薩は、悩める人々を慈悲で包み込むという優しい菩薩で、子どもの守り神ともされます。道祖神としても信仰されています。 地蔵菩薩の由来は、古代インドのバラモン教で信仰されていた「大地の神」だと言われ、病気を治したり、財産を蓄えるなど、人々の生活に身近な願いを叶えてくれる存在でした。 来世の救済ではなく、現世の願いを聞いてくれるという意味で、現世を肯定する空海の思想ともよくマッチしています。 また、若い頃の空海が出家の原点とした「虚空蔵菩薩」も、かつては地蔵菩薩と対になる菩薩でした。「天」と「地」でセットだったわけですね。 地蔵菩薩は、数十億年後に弥勒仏がやってくるまでの間を何とかしてくれる「つなぎの救世主」でもあります。この辺りも、なんとなく「弘法大師」との共通点を感じさせます。 平安時代の地蔵信仰は貴族が中心でしたが、鎌倉時代になると、全国の庶民の間で広がります。研究者によると、そのとき大きな役割を果たしたのは高野聖(高野山を拠点に全国を歩き回り、募金活動などを行った人たち)だったといいます。 このように、お地蔵様にはさまざまな側面がありますが、どの側面でも、空海とのなんらかの接点を見つけることができます。奥の院の地蔵も非常に多様で、ひとつひとつが楽しませてくれます。
地蔵不動尊
一の橋から参道をしばらく進むと、19町石の少し先(「佐竹義重霊屋」の少し手前)の右側に「地蔵不動尊(地蔵不動)」と呼ばれるお地蔵様があります。
これは「地蔵菩薩」と「不動明王」が一体化したもので、奥の院に数ある地蔵の中でも、高野山らしい地蔵だといえます。顔は地蔵菩薩で、身体が不動明王です。 地蔵菩薩は、人々を慈悲で包んでくれる「受容」の菩薩ですが、一方で不動明王は、「破壊と再生の神」シヴァ神に由来するとも言われ、密教では大日如来の使者とされています。最も深い悩みを抱える人たちを力ずくで救済する、ちょっと怖い仏です。 「受容」の地蔵菩薩と「正義を貫く」不動明王の合体は、実は空海の思想の真髄、「金胎不二」にも通じるものがあります。 この「地蔵不動(地蔵不動尊)」については、建立者が「顔を小さく、体を太く」と依頼したのを石工が「顔を地蔵、体を不動」と間違って聞き取ったために、こんな地蔵ができてしまった」という伝承も伝わっていますが、もっと深い意味が込められていた可能性もあるのではないでしょうか。 1540年、毛利元就が尼子勢を撃退したことで知られる吉田郡山城の戦い(郡山合戦)が起きた年につくられたようです。つまり地蔵不動尊には、戦国時代の真っ只中に生きた人たちの思いが込められているということになります。
爪彫り地蔵
地蔵不動尊の先の分岐を右に曲がり、「平敦盛・熊谷直実供養塔」からさらに南に行くと、「爪彫り地蔵(爪彫地蔵尊、つめほり地蔵)」と呼ばれる地蔵があります。
一見、ただの岩のようにしか見えないので少し分かりにくいですが、手前に「つめほり地蔵」と書かれた石柱があり、2つの献燈に挟まれています。 岩をよく見ると、確かに地蔵のような形の穴が掘られています。「爪彫り地蔵」と呼ばれるのは、空海が自らの爪を使って彫ったと伝えられているためです。 密教の力をもってすれば、爪でも岩がきれいに彫れるのでしょうか。空海の超人伝説がどのように伝わってきたか、伝えてくれる貴重な地蔵です。
数取地蔵
「地蔵不動尊」や「佐竹義重霊屋」の近くの分岐まで戻って、参道をさらに北へと進みましょう。21町石の少し先、「多田満仲供養塔」の近くにあるのが「数取地蔵(かずとりじぞう)」です。祠のような小さな建物(覆堂)の下に鎮座しています。
数取地蔵は、その名の通り、奥の院に参拝してきた人について数を数えているといいます。交通量を把握するために、数取器でカチカチしている人たちと同じように感じますが、全体の人数を数えているのではなく、一人が何回来たかを数えているそうです。その回数が閻魔大王に伝わり、裁判資料として使われるのだとか(地蔵自身が、閻魔大王の仮の姿だという話もあります)。 この数取地蔵は、参拝から帰る人もチェックしているようで、ある時、来た人が戻ってこない(または来る人より戻ってくる人の方が少ない)ので調べたところ、毒蛇(または大蛇)が参詣者を襲っていることが分かり、弘法大師に箒で退治してもらったという伝承もあります。 空海のヘビ退治の伝承は「蛇柳」のところにもあり、昔の奥の院の辺りには大蛇や毒蛇が住んでいて、参拝者の悩みの種になっていたことをうかがわせます。
汗かき地蔵
中の橋を渡った先の「姿見の井戸」の近くに、「汗かき地蔵」というお地蔵様をがいるお堂があります。
午前9時から11時ごろに汗を流すと伝えられ、「高野七不思議」の一つになっています。汗をかくのは、世の中の苦しみを地蔵尊が一身に受けるためだそうです。
身代わり地蔵(頬切地蔵)
「汗かき地蔵」のすぐ先にも、人の苦しみを代わりに引き受けてくれるお地蔵様がいます。こちらは「身代わり地蔵」または「頬切地蔵」と呼ばれます。
「頬切地蔵」と呼ばれるのは、右の頬に小さな切り傷があるためです。いったいどんなことがあって、誰の代わりに頬を切られたのでしょうか。
お化粧地蔵
しばらく参道を進むと、30町石の先に分かれ道があります。右に行くと「英霊殿」がある分岐です。左の方には「一番石(お江の供養塔)」があります。 この分岐をまっすぐ進むと、右側にとてもユニークなお地蔵様が現れます。 顔にはお化粧がほどこされ、口紅まで入っています。「お化粧地蔵」と呼ばれる地蔵菩薩です。
どうして、お地蔵様に化粧をするのでしょうか? 地蔵菩薩は、子どもたちを守る存在であると同時に、人々の生活に最も近い菩薩です。民間信仰では道祖神にもなっていますが、仏教では「空海と一緒にやってくる救世主」弥勒菩薩と関係しています。 弥勒菩薩が弥勒仏にバージョンアップするまでの間、地蔵菩薩が人々を見守り、色々と救済してくれるといいます。地蔵信仰は、弥勒信仰とセットで広がったのです。 釈迦や阿弥陀や弥勒菩薩や空海に、あまりにも世俗的な願い事(「美人になりたい」など)を頼むするのはちょっと気が引けるという人でも、お地蔵様であれば、気軽にお祈りできます。 近畿地方に(そして東北の津軽地方にも)、「地蔵にお化粧をすると、自分も美人になる」とか、「お地蔵様にメイクをすると、ちょっとした願い事でもかなえてくれる」という信仰がある背景には、こういった地蔵信仰の特徴が関係していると考えられています。
仲良し地蔵
お化粧地蔵のすぐ先にも、可愛らしいお地蔵様がいます。なんと、2体の小さなお地蔵様がぴったりくっついて、肩を寄せ合っているのです。「仲良し地蔵」と呼ばれます。
「仲良し地蔵」は、高野山の中でも、特に親しまれているお地蔵様コンビです。
安産地蔵
世界遺産の「結城秀康霊屋(正式には「松平秀康及び同母霊屋」)のすぐ目の前に、「安産地蔵」とよばれるお地蔵様がいます。
この安産地蔵には、「逆手地蔵」という別名もあります。棒(錫杖)を握っている右手をよく見ると、親指が下になっていて、普通のお地蔵様の持ち方とは逆になっているためです。 何か「安産」と関係がある意味があるのでしょうか?
声明地蔵
「声明地蔵(しょうみょうじぞう)」は、御供所の少し手前、浅野内匠頭の供養塔の近くにあります。「声出地蔵(こえでじぞう)」とも呼ばれます。
声明地蔵は、虫歯になった人たちのための地蔵だといいます。虫歯で歯を抜かれると、声明(お経を歌うように唱えること)がうまくできなくなって困るので、うまく声が出るようにしてくれたそうです。 お地蔵様めぐりをしていると、昔の人がどんな悩みを抱えていたかが伝わってきますね。
あじみ地蔵
「あじみ地蔵(嘗試地蔵・味見地蔵)は、御供所の少し先(大黒天の裏あたり)にいます。
この地蔵は、御供所でつくられた食べ物を弘法大師のところに持っていく「生身供(しょうじんぐ)」の儀式で、味見(または毒味?)をするのが役割です。
水向地蔵
「御廟の橋」を渡る直前の右側に、「水向地蔵」とよばれる仏像群があります。
これまで見てきた地蔵とは違い、いかにも「仏像」という感じの15体です。実際には地蔵菩薩だけでなく、不動明王や弥勒菩薩や聖観音が含まれています。 仏像の前に、玉川の水が入った水盤が置かれていますが、これを手向けて供養するので、「水向地蔵」と呼ばれるようになったようです。 と言っても、頭の上から水をかけてはいけません。下の方に優しくそそぎます。 御供所で求めた経木(水向塔婆)に供養したい故人の名前や法名を書いてもらって、その水向塔婆を仏像の足元に置いて、3回水をかけるのが正式だそうです。 先祖の冥福をお祈りする人も多いようです。
笠地蔵
笠地蔵は、御廟の橋を渡った先の、左のほうにあります。
笠地蔵(かさじぞう、かさこじぞう)は、日本各地の昔話でよく出てくる地蔵です。道端の地蔵に笠をかけてあげると、やがてお地蔵様の恩返しを受けるという、「善因善果」のシンボルです。 奥の院の笠地蔵は「瞑目大師(目を閉じて祈っている大師)」とも呼ばれ、病人の願いもかなえてくれるといいます。自分の患部をさすってから、お地蔵様の同じ場所をさすると、病気が治ると信じられています。願いがかなったら、お礼に笠を供えるということなので、昔話とは逆に、先にご利益があるということになりますね。