高野山奥の院の文学碑-享楽的な句や女流歌人の官能的な短歌も-
実は高野山・奥の院は文学の宝庫。さまざまな時代の句碑・歌碑・文学碑があります。 その内容も、実に多様!芭蕉や司馬遼太郎の真面目な句や文章もあれば、享楽的な俳諧師たちが詠んだ「反仏教的」な句、さらにはロマン派の女流歌人・与謝野晶子が妻子ある男性(または僧侶)を誘惑する官能的な歌まで… いったいどうして、この仏教の聖地に、そんな碑が立っているのでしょうか?
俳聖の両親への思いが刻まれた「芭蕉句碑」
時代の順でご紹介します。まずは江戸時代を代表する俳諧師、松尾芭蕉の句から。 芭蕉句碑は、「お化粧地蔵」のすぐ近くにあります。
芭蕉が和歌山、奈良などを旅し、高野山にも立ち寄った時の一句で、 ちゝはゝのしきりにこひし雉の声 と刻まれています。 高野山でキジの鳴き声を聞いていると、父や母への思いが募ってくる、という意味になります。 芭蕉の父母の位牌は、高野山におさめられていたようで、このときの芭蕉は、父の三十三回忌を終えたばかりだったそうです。芭蕉にとっての高野山は、結城秀康や石田三成と同じような意味を持つ、大切な場所だったのですね。
実は廃仏運動のメッセージ?「宝井其角句碑」
法然の墓所や世界遺産「松平秀康及び同母霊屋」の近くの分岐に、「宝井其角句碑」と書かれた碑が立っています。 宝井其角(たからい・きかく)は松尾芭蕉の弟子で、「洒落風」と呼ばれる作風で知られる江戸中期の俳諧師なのですが…実はこの句碑は、色々と問題?を抱えているようなのです。
句碑には「卵塔の鳥居やげにも神無月」と刻まれています。 卵塔の鳥居をくぐると、その先には神はいなかった、というような意味です。 卵塔(らんとう)は、台座の上に卵のような形の石をのせた墓で、僧侶(特に禅僧)の墓によくあるスタイル。「神無月」は旧暦の10月と「神がいない」をかけた言葉遊びです。 「僧侶の墓を壊して作った鳥居をくぐって、もっと廃仏運動の成果が見られるかと期待して入ってみたら、そこに鎮座していたのは神ではなくて仏(供養塔)だった。どういうこと?鳥居の内側には神様がいないといけないんじゃないの?」 という意味にも解釈できます。 高野山が発信地となった「神仏習合」の論理矛盾を突く(または笑う)ような内容の句が、ここに句碑として立っているのはなぜでしょうか? もう一句、「灯火を浮世の花やおくの院」という句も刻まれています。 「浮世」とは、仏教では「はかない現世」という否定的な意味で使われる言葉。近世には享楽的な世界、特に遊郭などを意味する言葉として使われました。つまり、 「(かつては女人禁制だった)奥の院では今、夜になると、遊郭のような享楽的な光景が繰り広げられている。」 という意味にも解釈できます。もし、そこまで激しい内容ではないとしても、密教の現世肯定主義を皮肉っているような印象を受ける句です。 いったいなぜ、芭蕉の弟子が、こんな句を詠んだのでしょうか? 実は、高野山大学客員教授だった山陰石楠氏の研究によると、この句を詠んだのは宝井其角ではなく、江戸時代後期から明治にかけての俳諧師、鈴木義親と穂積永機だったことが分かったとのことです。 もっとも、仮にそうだとしても、2人とも宝井其角がつくった江戸俳諧宗匠の組合「江戸座」の俳諧師ではあります。 宝井其角はもともと松尾芭蕉の弟子でしたが、芭蕉からは「彼は修辞が巧みで、ちょっとしたことを大げさに表現するのが得意だ」と、あまり褒め言葉にも思えない評価を受けていました。 そして芭蕉の死後、宝井其角をはじめとする「江戸座」の俳諧師たちは、芭蕉が大切にした「閑寂」の精神を捨て去り、遊戯的、享楽的な句作りをする「洒落風」という流儀につきすすみ、江戸の商人たちからもてはやされるようになります。 つまり芭蕉が芸術として高めた俳諧を、「都会人のたしなみ」「おしゃれな言葉遊び」にしてしまった人たちなのです。それでも彼らは芭蕉を偶像化し、「芭蕉の流儀・蕉風俳諧」の後継者を自認することで自分たちのステータスにしていました。 しかし明治20年代以降、「江戸座」のように「面白いけど中身がない」俳諧の流儀は、正岡子規の「日本派」などの俳諧革新運動に圧倒されて衰退していきます。 この句碑を立てたと見られるのは、この「江戸座」の末期の俳諧師、穂積永機(またはその親族)です。「灯火を浮世の花やおくの院」の句は、彼自身の作品と見られます。 永機は日本人が西洋化に突き進み、「神仏分離」を進めた時代に生きた人。「煙消え灰消えて終に何もなし」という辞世の句を残していることからも、仏教に対してどんな考えを持っていたのか、なんとなく想像ができます。 最初の「卵塔の鳥居やげにも神無月」を詠んだとされる鈴木義親は、もう少し前の江戸末期の人物です。当時の仏教は、江戸幕府と密接な関係を作りすぎたためにさまざまな矛盾を抱え、江戸の町人たちは「僧侶たちは、俗人より淫蕩な生活を送っているようだ」とささやきあっていました。 そういった影響を受けて、儒教思想を背景にした神道尊重、仏教軽視の風潮が強まっていた時代だったのです。明治時代に本格化した廃仏運動も、この頃から始まっていました。 とはいえ、「江戸座」がどんな流派だったのかを考えれば、この句碑には仏教を批判するメッセージがこめられているというよりも、仏教が抱えるいろいろな矛盾を「お洒落な言葉遊び」でおちょくった、ということにすぎなかったのかも知れません。 どんな意味がこめられているにせよ、参道の分かれ道という目立つ場所にこんな句碑を立てても許され、そのままにされているのは、高野山という場所の懐の深さを表しているのでしょうか。
これはさすがに刺激的すぎるのでは…「与謝野晶子歌碑」
中の橋駐車場から奥の院に入っていく参道沿い、親鸞の墓所の南東に、ロマン派の女流歌人、与謝野晶子の歌碑があります。 実はこの短歌は、もし江戸時代の僧侶が見たらびっくりしてしまうような、官能的な内容です。
与謝野晶子の処女歌集「みだれ髪」にある有名な短歌で、 「やわ肌のあつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君」 というものです。 意訳すると、 「柔らかくて情熱的な、わたしの肌に触りもしないで、道徳ばかり口にするなんて、寂しくはないの、あなた」 という内容になります。実に挑発的ですね。 22歳の与謝野晶子(当時は鳳晶子)がこう呼びかけた人物は、当時は不倫関係にあった与謝野鉄幹である可能性が高そうです。与謝野鉄幹は、晶子の歌集「みだれ髪」をプロデュースした直後に妻・滝野と離別し、晶子と再婚しました。 不倫であることを気に病む与謝野鉄幹に対し、「そんな固いこと言わないで、わたしの柔らかい肌に触ってみなさいよ」と呼びかけたい気持ちを歌にしたのでしょうか。 もっとも、モデルは与謝野鉄幹ではなく、高野山で修行する若い僧侶だった説もあります。その場合、与謝野晶子は与謝野鉄幹と不倫関係にありながら、さらに僧侶も誘惑していたことになります。 この短歌を含め、あまりにも自由奔放で官能的な恋愛を描いた歌集「みだれ髪」の発表は大きなスキャンダル、今で言う「炎上」を巻き起こしたようです。 女人禁制だった高野山に、しかもその中でも特別な聖域の奥の院に、妻子ある男性(または僧侶)を誘惑する女性の赤裸々なメッセージが堂々と掲げられているとは・・・ そんな誘惑に耐えるのも修行のうち、ということでしょうか。
大作家の悩める青年時代を伝える「司馬遼太郎文学碑」
最後にご紹介するのは、現代の真面目な文学碑です。 2008年に建立された「司馬遼太郎文学碑」。一の橋から奥の院に入ってすぐのところに立っています。
刻まれているのは、歴史小説の大家・司馬遼太郎が青年時代に高野山を訪れた時のことを書いたエッセイ「高野山管見(こうやさんかんけん)」の冒頭、以下の文章です。
高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。 山上は、ふしぎなほどに平坦である。 そこに一個の都市でも展開しているかのように、堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀をつらねている。 枝道に入ると、中世、別所とよばれて、非僧非俗のひとたちが集団で住んでいた幽邃な場所があり、寺よりもはるかに俗臭がすくない。 さらには林間に苔むした中世以来の墓地があり、もっとも奥まった場所である奥ノ院に、僧空海がいまも生けるひととして四時、勤仕されている。 その大道の出発点には、唐代の都城の門もこうであったかと思えるような大門がそびえているのである。 大門のむこうは、天である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空がひどく大きい。 大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。 まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。
出典: 司馬遼太郎 歴史のなかの邂逅 1 空海~斎藤道三 より「高野山管見」の冒頭
「虚空」「空(くう)」という空海の思想を表す言葉を何度か含ませながら、高野山と奥の院がどんな場所なのか、見事に描いています。 司馬遼太郎は戦時中、学徒出陣前に紀伊山地をさまよったことがあるそうです。そして高野山にたどり着き、異次元に入ったような感覚を覚えたといいます。 司馬遼太郎は1923年の生まれですから、「学徒出陣」のときは二十歳。明るい青年だったようですが、「死地」へのお呼びがかかった時は、とても悩んだのでしょう。放浪の旅でたどり着いた「唯一の異域・高野山」は、悩める青年にとって、すでに敗色が明らかだった大日本帝国とは全く違う世界に見えたのかも知れません。 ここに文学碑を建てることは、その12年前に亡くなった本人の念願でもあったそうです。この文学碑も、一種の供養塔、または慰霊碑だといえますね。