宿坊「清浄心院」(高野山)-奥の院巡りの拠点としておすすめ-

「清浄心院(しょうじょうしんいん)」は、高野山の山上にある宿坊寺院のひとつ。平家物語に登場する人物たちとの縁が深く、上杉謙信の菩提寺でもあります。 一の橋に隣接しているため、奥の院巡り(特に武将たちの供養塔めぐり)の拠点として立地条件は最高。素泊まりなら安く泊まることもできます。 清浄心院のおすすめポイントや注意点、宿泊した人の口コミ評価、アクセス方法、特徴と歴史、予約サイトの比較などを掲載しています。

清浄心院のおすすめポイント・注意点と宿泊料金の例

清浄心院のおすすめポイント

・ 奥の院の入り口・一の橋に隣接 ・ 比較的リーズナブルな料金プランがある ・ 評価が高い一棟貸しのプランもある ・ 真言宗に深く帰依した上杉謙信の菩提寺 ・ 豊臣秀吉が花見をした桜の名木がある

清浄心院の注意ポイント

・ 全室禁煙なので喫煙をしたい人は避けたほうがいい? ・ 自然が豊かな分、季節によっては虫が多い? ・ 他の宿坊と同様、部屋の外鍵がないことを指摘する声あり

こんな人に向いているかも?

・ 奥の院巡りの拠点がほしい ・ 素泊まりで安く宿坊に泊まりたい ・ 一棟貸しでプライベートな宿坊滞在を満喫したい ・ 平家物語に興味がある ・ 上杉謙信や佐竹義重、夏目漱石が好き

料金プランの例(2名利用時・1人あたり)

・ 素泊まり直前割引 6,050円(税込) ・ 2食付・壁仕切りの個室 11,440円(税込) ・ 一棟貸し・「花菱」の特別精進料理付 23,100円(税込) 「清浄心院」料金・空室検索(じゃらん) 「清浄心院」料金・空室検索(楽天トラベル)

清浄心院への行き方

清浄心院は、高野山の東部にあります。宿坊の中では最も東にあり、奥の院に隣接しています。

清浄心院の位置(広域地図)

電車&バスでのアクセス:

・ 南海高野線で極楽橋駅へ ・ 高野山ケーブルで高野山駅へ ・ 南海りんかんバス(高野山内線)で「奥の院口」停留所または「一の橋口」停留所

車でのアクセス:

・ ナビの目的地に電話番号「0736-56-2006」または住所「和歌山県高野町高野山566」を指定してみてください。 ・ 高野山までの車での行き方については高野山へのアクセスはどれを選ぶ?電車・車・バス・飛行機を比較もご参照ください。

駐車場は清浄心院にもあります。外の駐車場を利用する場合は「一の橋」駐車場が近いですが、有料駐車場です。無料駐車場の中では「国道371号」駐車場が比較的近いです。

清浄心院の位置(詳細地図)

清浄心院の周辺には、奥の院のほか、苅萱堂:、美福門院陵などの見どころがあります。

清浄心院の特徴

清浄心院は、高野山では金剛峯寺に次いで広大な面積を持つ寺院です。 奥の院にある重要文化財「上杉謙信霊屋」を除くと、豊臣秀吉が花見を催した名木「傘桜」、運慶作の「阿弥陀如来立像」が見どころです。他にも「九品曼荼羅」「当麻建立之図」といった重要文化財を所蔵しています。 空海作と伝わる本尊「廿日大師像」は秘仏で、毎年4月20日のみ開帳されます。 また、清浄心院では古いスタイルの台所を見ることもできます。ここにある大釜は金剛峯寺にある台所を作る際に参考にされました。金剛峯寺では他の建物を再建する際も、この清浄心院を参考にしたといいます。 宿坊としては、離れの部屋に泊まった人の満足度が特に高いです(檜風呂や庭園を見ながらの食事など)。 また、一の橋の隣にあるので、奥の院巡りの拠点としては最高の立地です。チェックイン前に到着し、宿坊で荷物を預かってもらった上で奥の院の散策などを楽しんでいる人もいます。

清浄心院の評判

清浄心院に宿泊した人の口コミの中から、客観的に見て参考になる内容の一部を、箇条書きでまとめました。ただし、部屋の設備や精進料理の内容は料金プランによって変わりますし、悪い評価を受けた点は改善されている可能性もあります。

ポジティブな評価

・ 離れの部屋に泊まれて良かった ・ 檜風呂は快適。庭を観ながら素敵な別室で食事ができた ・ 古いカマドなど、寺の内部を見られていい経験になった ・ チェックイン前に荷物を預かってもらえた ・ 立地が奥の院の隣なので非常に便利 ・ 離れ一棟貸しだったが、木のお風呂が心地よかった ・ 精進料理の味付けがしっかりしていた ・ 英語ができる僧侶がいるので、外国人もスムーズにコミュニケーションできる ・ 朝のお勤めはお経の声が素晴らしく感銘を受けた ・ 勤行後、寺の縁起について丁寧に説明をしてもらえた ・ 胡麻豆腐は絶品

ネガティブな評価

・ 季節柄虫が多かった ・ 喫煙部屋に泊まれると思っていたのに、全館禁煙だった ・ 部屋に鍵があると嬉しい ・ もっと高野山や清浄心院、仏教の話を聞きたかった(または説明書きがほしかった)

清浄心院を予約できるサイトの比較

清浄心院での宿泊は、以下の予約サイトから手配することができます。

じゃらんnet

リクルートが運営する予約サイトで、国内の利用者数が最多。オンラインの手配に慣れていなくても安心して使えるので、年配の人には特に人気です。 通常のポイント獲得率が、2%と高めなこともメリットです。貯めたポイント(「Pontaポイント」「dポイント」または「リクルートポイント」)は旅行の他、日常の買い物(通販やスーパーなど)で使えることが多いので、使い道に困ることもありません。 新幹線や飛行機、レンタカー、ツアーなどセットで手配するとお得になることが多く、旅行の手配をまとめて手軽に済ませたい人におすすめです。 個別に手配する場合は、宿泊料金が少し高めに設定されている可能性もあるので、他の予約サイトの料金も確認しておくといいかもしれません。 「清浄心院」料金・空室検索(じゃらん)

楽天トラベル

通常のポイント獲得率は1%で、貯めたポイント(楽天ポイント)は旅行の他、日常の買い物(通販やスーパーなど)で使えます。 登録されている国内の宿泊施設が最も多く、豊富な選択肢からじっくり選びたい人におすすめです。 通常のポイント獲得率はじゃらんよりも低いですが、その分宿泊料金が安く設定されていることもあります。 楽天ユーザーであれば、楽天トラベルで予約した月の楽天市場での買い物のポイントが1%追加される(SPU+1倍)というメリットもあるので、それを目的に1泊だけでも楽天トラベルから予約するという人もいます。 「清浄心院」料金・空室検索(楽天トラベル)

清浄心院の歴史

清浄心院は天長年間(824年~834年)に空海が開基したと伝わる寺院です。当初は喜多坊という名称でしたが、後に勅命により現在の名前になりました。 平安時代末期の清浄心院は、平家の栄枯盛衰と深い縁がありました。 平清盛の三男、平宗盛(1147年~1185年)が、大火で焼失していた清浄心院を再建したのです。 平宗盛は、清盛の死後に平家総帥の地位を受け継ぎ、斜陽の平家を守る使命を背負っていました。根本大塔などの再建をきっかけに飛躍した父・清盛にならい、真言密教の加護にすがろうとしたのでしょうか? 同じ頃、清浄心院には、宗盛の兄、平重盛の家臣だった滝口入道(斎藤時頼)が住み、密教の修行をしていました。 滝口入道は、建礼門院の雑仕女(召使い)だった横笛との悲恋の物語で知られます。 身分違いの恋が成就しないことを知った彼は、横笛への思いを断ち切るために出家。横笛が追ってこれないよう、女人禁制の高野山に登った人物です。後に大円院の住職になりました。 平重盛の息子、平維盛も、屋島を抜け出した後にここに来て、滝口入道のもとで出家したといいます。その後、平維盛は那智勝浦で入水することになりますが、その際に滝口入道が立ち会ったという話もあります。 戦国時代の清浄心院は、関東や越後の武将たちから信仰を受けました。清浄心院を菩提寺にした武将で最も有名なのが、「軍神」上杉謙信です。 上杉謙信は、もともと曹洞宗や臨済宗を信仰していましたが、1553年(天文22年)に上洛した際に高野山を参詣したことをきっかけに真言宗にも傾倒。 無量光院の住職、清胤(舜学坊)を崇敬し、何度か越後にも呼び寄せました。晩年の1574年には正式に師弟の契りを結び、本格的な密教の修行を行い、その翌年に「阿闍梨権大僧都」の地位を授かっています。 このように無量光院との縁が深いはずの上杉謙信ですが、菩提寺となったのは無量光院ではなく、この清浄心院です。 これは、もともと清浄心院が、関東管領・山内上杉家の菩提寺だったことによるものと思われます。戦国時代の清浄心院は、山内上杉家、佐竹家、那須家、結城家など関東の名族との関係を深め、師檀契約を結んでいました。 高野山に参詣した1553年には「長尾景虎」だった謙信ですが、北条家に敗れた上杉憲政の養子となり、1561年に家督を継承して「上杉政虎」となっていました(後に上杉輝虎に改称)。 高野山側の記録では、上杉輝虎は1574年にも高野山を参詣し、その際に「謙信」の法名を贈られたといいます。 一方で長尾家の菩提寺(つまり謙信の血族の菩提寺)である曹洞宗林泉寺の記録では、上杉輝虎は数え40歳の時(1570年)に林泉寺住職・宗謙のもとで参禅、「達磨不識の玄道(禅の奥儀)」を悟り、「不識庵謙信」と名乗ったといいます。 「上杉家の菩提寺」と「長尾家の菩提寺」の記録が矛盾していますが、一般的には「不識庵謙信」と名乗ったのは1570年末とされています。 「不識(知らない)」は、禅宗の始祖・菩提達磨(ぼだいだるま)が梁の武帝から「お前は誰だ」と聞かれた際に答えた言葉として有名。 さらに「謙」の文字は宗謙の諱から一字を取ったと言われることからも、「不識庵謙信」という名乗りについては林泉寺の記録の方が説得力があります。 また、1574年の上杉謙信は関東に長期間出兵し、北条氏政とにらみ合っていた(しかも劣勢だった)ことからも、この年に自ら高野山を参詣したという話は信ぴょう性が疑われています。 一方で、その1574年に高野山の僧侶、清胤を越後に呼び寄せ、師弟の契りを結んだという話には多くの裏付けがあります。謙信自ら、翌年の1575年の祈願文で「去年、法体になった」と記しています。 上杉輝虎は、1570年に禅の修行をして「不識庵謙信」と名乗ったものの、その時に正式に法体になったわけではなく、1574年に真言宗の僧侶として出家したのかもしれません(ただし高野山ではなく、越後で)。 仏教、特に晩年の真言密教への傾倒は、謙信の行動に大きな影響を及ぼしていたことは確かですが、具体的なことになると多くの謎に包まれています。 なお、上杉謙信が生涯独身を貫いたのは、仏教への信仰とは別に、亡くなった一人の女性への思いを貫いたからだという説もあります。 軍記物の伝承によると、この女性は上野の重要拠点、平井城の城主となった北条幻庵の家臣で、城代を任されていた千葉采女の娘、伊勢姫。謙信が平井城を攻略した際に人質にし、恋に落ちましたが、家臣の柿崎景家に「敵将の娘なんかと結婚してはダメ」と止められ、側室にすることもできませんでした。千葉采女は出家し、まもなく亡くなります。 この伝承の信憑性はともあれ、謙信が不犯を誓い、出家を願い続けた背景に、似たような事実があった可能性は否定できません。平家物語の滝口入道の話にも似ていますね。 ともあれ、様々な縁が交錯した結果、清浄心院は上杉謙信や景勝の菩提を弔うことになりました。 奥の院に今も残る重要文化財・世界遺産「上杉謙信霊屋」を管理しているのは、この清浄心院なのです(「佐竹義重霊屋」も同様です)。 1594年には、豊臣秀吉も高野山参詣の際に清浄心院を訪れ、花見を催したと伝わります。境内にある「傘桜」は、その際に歌に詠まれた名木です。 江戸時代末期の1860年、清浄心院は火災で全焼。現在の建物はその後に再建されたものです。 本尊は空海の作と伝わる「廿日大師像」。運慶作の阿弥陀如来立像などの重要文化財も所有しています。夏目漱石の位牌もあります。

清浄心院の情報まとめ

基本データ

住所
〒648-0211和歌山県伊都郡高野町高野山566
TEL
0736-56-2006
FAX
0736-56-4770
チェックイン
午後2時~午後5時
チェックアウト
午前10時まで
部屋数
9室
駐車場
有り 20台 無料 予約不要・先着順

部屋の設備・アメニティ

インターネット接続(無線LAN形式)| 湯沸かしポット| お茶セット| ボディーソープ| シャンプー| リンス| タオル| バスタオル| 金庫

備考

・ 館内禁煙 ・ 7月盆13〜16日・8月盆13〜16日に『護摩盂蘭盆会』を開催

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